島田緑地・自然生態園
先日「シラタマホシクサ―初秋の小さな湿地―」を
UPしたとき、検索してみたら10~11日に観察会
が設定されていた。
事前申し込みが必要であるが、当日申し込みを受け
付けてもらえて見てきた。
[パンフレットからの抜粋]
島田湿地は尾張丘陵の南部に位置し、周囲をマツ・コナラ・アベマキ等の樹木に囲まれた、標高60mのなだらかな丘陵地帯にある湿地です。
世界中でこの東海地方の湿地にしか生息しないシラタマホシクサや、食虫植物のミミカキグサ・モウセンゴケや、世界最小のハッチョウトンボなどが生息しています。
これらの動植物は、昭和51年ころまで名古屋市内の丘陵地にもごく普通に見られたものでした。しかし近年の宅地開発によって、限られた環境下でしか生きて行けないため次第にその姿を消して行きました。
このため名古屋市はこの島田湿地を「島田緑地・自然生態園」として整備し、市民団体「白玉星草と八丁トンボを守る島田緑地の会」と協働で湿地の維持管理を行っています。
自然生態園は二つに分かれ、再生区域は4~10月の土・日・祭日に公開、保全区域は生き物たちのサンクチュアリとして原則非公開ですが、年2回各2日間ほど観察会を実施している。
保全区のシラタマホシクサ
名古屋東部丘陵には花崗岩が風化して出来た粘土層が厚く堆積し、その上に水がしみ出して湿地を形成しています。かってこのあたりには島田東部湿原と呼ばれる広大な湿地が広がっていました。
湿地と人のかかわり
粘土層と砂礫層が互層する矢田川累層の露出するところに湿地が形成されていた。
↓
湿地の周囲では土が焼き物に利用されたり、自然崩落がおきたりして、湿地は次第に拡大した。
↓
人の手が加わり水田に利用され、水田に適さないところは湿地として残された。
↓
水田が放棄され、植物が侵入し、元の湿地に戻った。
環境の移り変わり
人里から離れた丘陵地は広く樹林で覆われ、谷筋部分は水がしみ出して、湿地が形成された。
↓
村落が大きくなるにつれ、湿地は水田に利用され、陶土を採掘したりもした。
↓
やがて水田は放棄され、宅地化が進み、樹林地は減少の一途をたどる。
↓
樹林地と湿地はさらに面積を狭め、希少なものとなった。
UPしたとき、検索してみたら10~11日に観察会
が設定されていた。
事前申し込みが必要であるが、当日申し込みを受け
付けてもらえて見てきた。
[パンフレットからの抜粋]
島田湿地は尾張丘陵の南部に位置し、周囲をマツ・コナラ・アベマキ等の樹木に囲まれた、標高60mのなだらかな丘陵地帯にある湿地です。
世界中でこの東海地方の湿地にしか生息しないシラタマホシクサや、食虫植物のミミカキグサ・モウセンゴケや、世界最小のハッチョウトンボなどが生息しています。
これらの動植物は、昭和51年ころまで名古屋市内の丘陵地にもごく普通に見られたものでした。しかし近年の宅地開発によって、限られた環境下でしか生きて行けないため次第にその姿を消して行きました。
このため名古屋市はこの島田湿地を「島田緑地・自然生態園」として整備し、市民団体「白玉星草と八丁トンボを守る島田緑地の会」と協働で湿地の維持管理を行っています。
自然生態園は二つに分かれ、再生区域は4~10月の土・日・祭日に公開、保全区域は生き物たちのサンクチュアリとして原則非公開ですが、年2回各2日間ほど観察会を実施している。
保全区のシラタマホシクサ
名古屋東部丘陵には花崗岩が風化して出来た粘土層が厚く堆積し、その上に水がしみ出して湿地を形成しています。かってこのあたりには島田東部湿原と呼ばれる広大な湿地が広がっていました。
湿地と人のかかわり
粘土層と砂礫層が互層する矢田川累層の露出するところに湿地が形成されていた。
↓
湿地の周囲では土が焼き物に利用されたり、自然崩落がおきたりして、湿地は次第に拡大した。
↓
人の手が加わり水田に利用され、水田に適さないところは湿地として残された。
↓
水田が放棄され、植物が侵入し、元の湿地に戻った。
人里から離れた丘陵地は広く樹林で覆われ、谷筋部分は水がしみ出して、湿地が形成された。
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村落が大きくなるにつれ、湿地は水田に利用され、陶土を採掘したりもした。
↓
やがて水田は放棄され、宅地化が進み、樹林地は減少の一途をたどる。
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樹林地と湿地はさらに面積を狭め、希少なものとなった。
by katsu-makalu
| 2011-09-15 18:22