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一冊の本からの雑感

              昨日25日広島で走行中のトレーラーから鉄板が落ちて、対
              向車線を走る車の二人が死亡すると言う事故が起きた。
              トレーラーに積載された鉄板はワイヤーで固定されていたが
              切れた、切れた原因は今日のナイロンザイル事件にも共通
              する部分がある。


 先日古本屋をのぞいたとき「屏風岩登攀記」を見つけて購入した、著者の石岡繁雄氏(故人)は「氷壁」のナイロンザイル事件のモデルで墜死した若山氏(小説では小坂)の実兄である。
石岡氏はナイロンザイルのメーカーの公開実験後も、教授として教鞭をとる鈴鹿高専で原因究明を続けられ、私は県岳連宛てに来た案内によって切断実験を見学した。


 昭和30年1月、前穂高・東壁での遭難事故、いわゆる「ナイロンザイル事件」が発生した。

 その時私はまだ小学生で愛知・岐阜・長野の県境にある田舎に住んでいた、当然登山なるものも知らずに野山を駆けて遊んでいた。
 私の山登りは、日本人による8000㍍峰登頂(マナスル)の翌々年、昭和33年の秋、鈴鹿の山から始まった。
朝明渓谷~杉峠~雨乞岳~武平峠(鎌ヶ岳往復)~湯の山温泉のコースを、会社の先輩二人と同期入社の友人と私の4人、テントで一泊二日の山登り。(当時御在所ロープウェーの工事中)

 その後この友人と鈴鹿の山へ通ううちに、一般ルートを歩くことから沢登りへと進み、滝を登るのに岩登り技術の必要性を感じて、一般山岳会・N山の会へ入会することとなった。

 入会当時の山岳界は、登山靴は鋲靴からビブラムへ、防寒具はビニロンからナイロンへ、ザイルも麻からナイロンへの移行期であった。
 山岳会の先輩二人が、屏風岩の登攀に麻ザイルにするか、ナイロンザイルを使うか例会で検討されていたのを記憶している。

 御在所・藤内壁へ毎週末通って岩登りのトレーニングに励み、穂高岳・剣岳・北岳と岩登りに夢中になっていた、中でも穂高山魁が活動の中心となり、北穂滝谷(小説で小坂のザイルパートナー魚津が遭難死)・前穂東壁(ナイロンザイル事件の舞台)・四峰正面・屏風岩・明神Ⅴ峰等を四季を問わず、休日・休暇を使って登攀に明け暮れていた。
その結果は当然ヒマラヤを夢見ることとなるのであるが・・・。

 せっせと穂高へ通っていた頃読んだのが井上靖の「氷壁」である。ノーベル文学賞受賞直後に二回目、今回改めて読み返し都合三回目である。

 井上靖の著作には、敦煌千仏洞を扱った「敦煌」、ジンギス汗を描いた「蒼き狼」、大黒屋光太夫の漂流と流浪の生涯を辿った「おろしや国酔夢譚」等の歴史小説のほかに、「あした来る人」「氷壁」「憂愁平野」等の恋愛小説もある。
 井上靖の描く恋愛は、金や名誉などの世俗的要素を除外して、恋愛感情そのものを純粋に取り扱っている。
その恋愛は必然的に、男女が互いに愛を確認しあった時に終っていることによって、一種の清潔さと爽涼感がある。

 「氷壁」は前穂高の難所に挑む若い登山家と言う設定で、友人の不慮の事故死をめぐる社会的スキャンダルとの戦い、友情と恋愛の確執を、「山」という自然と都会とを照らし合わせて描いている。
              『氷壁』(ひょうへき)は、井上靖の長編小説。昭和31年2月
              24日から翌年8月22日まで「朝日新聞」に連載。昭和32年
              新潮社から刊行。
              (昭和38年に新潮文庫発行 平成21年102刷)


 初めは山岳小説として、ノーベル賞受賞直後は恋愛小説として読み、今回は「屏風岩登攀記」を手にしたことで、記憶が薄れているナイロンザイル事件を思い出すために読み返してみた。

                  「屏風岩登攀記」については後日機会があれば・・・。


ナイロンザイル事件のその後

小説「氷壁」はあくまで小説である。
ナイロンザイル事件について古い資料を調べてみた。

「前穂東壁のナイロンザイル事件」の数日前、昭和29年年末に東雲山渓会員が前穂の近くの明神Ⅴ峰でザイルが切れ重傷を負う。
その後、剣岳などでも第3・第4のザイル切断事故があり死者が相次いだ。
昭和45年6月に奥多摩と巻機山でもザイルが切れている。

メーカー側は前穂・東壁の事故後、愛知県蒲郡のT製綱の工場で公開実験を実施し切れないことを実証した。
(その実験は、阪大・応用物理学教授で登山道具の権威と知られたS氏が指導のもと実施)

遭難事故のあった年の7月末、若山氏の遺体はザイルを正しく結んだまま雪の中から発見された。(切れたザイルは、長野県大町市にある「山岳博物館」に保存・展示してあったが、今も展示されているのかしら・・・)

石岡氏はザイル切断の岩角を石膏に取りそれに似た岩角(90度)を探してきた。
 
メーカーが実施した実験が作為された物との情報が石岡氏に伝えられた。
作為とは、岩角は1㎜程丸みをつけたことである。(T製綱に出入りしている関係者からの密告)
石岡氏は実験を続け、「岩角にこすれると簡単に切れる」ことを証明した。

石岡氏のねばり強い活動は、ザイルの強度を「厳寒期、酷暑にも切れない基準」を求め、業界は激しく抵抗したが、通産省も若山五郎の死から20年後の昭和50年、ザイルの安全基準を設けた。



youtubeに ↓ こんな動画が投稿されている。(投稿者は私ではない)
ロッククライミングや山岳遭難にご興味のある方はどうぞ。

御在所岳・藤内壁・前尾根.は中京地区岳人に 好まれて登られる。

現役時代何度も遭難救助に関わった。
アルプス山岳救助隊
by katsu-makalu | 2012-12-26 17:09