むかし登山 いま山野草散策
先日の保護活動の折、宿泊した山小屋に故・長谷川恒夫の写真が飾ってあった。
思い出して「長谷川恒夫 虚空の登攀者」佐瀬稔著を読み返してみた。そのあとが
きに著者のメスナーへのインタビューで、メスナーが生と死について語ったことが
書かれている。
『生と死について私は三つのことを考えています。まず第一に、死の危険のない
所には私は行かない。第二に、行ったら必ず死んでしまう、生き残れるのは偶然
しかない、そういう場所にも行かない。たしかに死の危険はあるけれども、生き残
れる可能性のある場所にだけ行く。そこで、あり得るかもしれない死に直面したと
き耐える、対抗して生きていく、ということです。多分、私は誰よりも生きるのが好
きな人間だろうと思います。死に直面したとき、生が非常に凝縮された形で味わ
えるのです。
死は生の一部分だと思います。死が全体を支配している。死があるからこそ生
きていられる。だから、小市民が好むような生き方はしたくない。一度しか生きら
れないのだから、自分の好きなことを貫きたい。アルピニズムは、スポーツの埒
外にあります。自分を表現するという意味で、むしろ芸術に近い・・・・』
※長谷川 恒男(1947~ 1991)は、日本の登山家。日本アルパインガイド協会
専務理事を務めた。ヨーロッパアルプスの3大北壁の冬期単独初登攀の成功
は世界初。 1991年、パキスタンのウルタルⅡ峰で雪崩に巻き込まれ遭難。
1993年、東京都山岳連盟が日本山岳耐久レース(長谷川恒男カップ)を開催。
毎年行われている。
※ラインホルト・メスナー
エベレストをはじめ8000メートル級の14峰すべてを登頂した登山家。ほとんど
を単独、無酸素で登攀(とうはん)
かって、岩・雪・氷を求めて現役で登攀活動をしていた頃は、これに近い考え方
で登っていた。結婚し、子供が生まれ、生活に追われて・・・。いま子どもが独立し、
山野草を求めての生活であるが、あと何年生きられるか分からない年になって考
えさせられる一文であった・・・・。
一昨年の今頃('08.6.28 大阪・長居植物園)
大阪へ出張した折 立ち寄ってみた
思い出して「長谷川恒夫 虚空の登攀者」佐瀬稔著を読み返してみた。そのあとが
きに著者のメスナーへのインタビューで、メスナーが生と死について語ったことが
書かれている。
『生と死について私は三つのことを考えています。まず第一に、死の危険のない
所には私は行かない。第二に、行ったら必ず死んでしまう、生き残れるのは偶然
しかない、そういう場所にも行かない。たしかに死の危険はあるけれども、生き残
れる可能性のある場所にだけ行く。そこで、あり得るかもしれない死に直面したと
き耐える、対抗して生きていく、ということです。多分、私は誰よりも生きるのが好
きな人間だろうと思います。死に直面したとき、生が非常に凝縮された形で味わ
えるのです。
死は生の一部分だと思います。死が全体を支配している。死があるからこそ生
きていられる。だから、小市民が好むような生き方はしたくない。一度しか生きら
れないのだから、自分の好きなことを貫きたい。アルピニズムは、スポーツの埒
外にあります。自分を表現するという意味で、むしろ芸術に近い・・・・』
※長谷川 恒男(1947~ 1991)は、日本の登山家。日本アルパインガイド協会
専務理事を務めた。ヨーロッパアルプスの3大北壁の冬期単独初登攀の成功
は世界初。 1991年、パキスタンのウルタルⅡ峰で雪崩に巻き込まれ遭難。
1993年、東京都山岳連盟が日本山岳耐久レース(長谷川恒男カップ)を開催。
毎年行われている。
※ラインホルト・メスナー
エベレストをはじめ8000メートル級の14峰すべてを登頂した登山家。ほとんど
を単独、無酸素で登攀(とうはん)
かって、岩・雪・氷を求めて現役で登攀活動をしていた頃は、これに近い考え方
で登っていた。結婚し、子供が生まれ、生活に追われて・・・。いま子どもが独立し、
山野草を求めての生活であるが、あと何年生きられるか分からない年になって考
えさせられる一文であった・・・・。
一昨年の今頃('08.6.28 大阪・長居植物園)
大阪へ出張した折 立ち寄ってみた
by katsu-makalu
| 2010-06-28 19:09